盲導犬とおばさんの話
2006年2月16日地下街を歩いてたら、
ラブラドールレトリバーをつれた おばさんがいて、「犬!?」と思って 近寄ったんだけど すぐにそれが 盲導犬なんだって気づきました。
でね 盲導犬は 口をあけて ひゅうひゅう息をして なんだかとても苦しそうで、それでとうとう 立ち止まったのです。
そしたら おばさんは、 「このバカ犬!!」って まわりがびっくりするような大声で叫んで 犬の頭を叩いたんです。
それからも バカ犬、ふざけるな、役立たず、とか そんなことを 犬に向かって叫んで 無理やり ハンドルを引っ張ったりしていました。
わたしは こういうとき 他者の介入っていうのは 許されるんだろうか?とか いろんなことを考えて それで結局 おばさんが盲目なのをいいことに かなり近くで どきどきしながら おばさんと犬を見てた。
結局 怖くてその場にいられなくなって逃げました。
なんだったんだろう、あれ。
*
ハンディを背負っているからといって 必ずしもやさしい人ばっかりじゃない。
この二つに相関関係なんてないはずなのに なぜか、ハンディを背負った人間を 被害者みたいに 見る風潮みたいなのが あるとおもう。
でも もちろん 同じように 汚いことを考える人もいるし 動物が嫌いなひともいるし いらいらしたら 他者に当たりたくなるひともいるわけで。
当たり前のことなんだけど そういった意味で 特別な目で見るのはよくないことだな、と思いました。
*
何かにショックを受けました。
盲目の人と 盲導犬の 絆、みたいなイメージが先行しすぎてて、だから 目撃したあの姿に 変な衝撃を受けたんだろうか。
よくわかんない。
あの犬は普段 かわいがって貰えてるのかな。
ラブラドールレトリバーをつれた おばさんがいて、「犬!?」と思って 近寄ったんだけど すぐにそれが 盲導犬なんだって気づきました。
でね 盲導犬は 口をあけて ひゅうひゅう息をして なんだかとても苦しそうで、それでとうとう 立ち止まったのです。
そしたら おばさんは、 「このバカ犬!!」って まわりがびっくりするような大声で叫んで 犬の頭を叩いたんです。
それからも バカ犬、ふざけるな、役立たず、とか そんなことを 犬に向かって叫んで 無理やり ハンドルを引っ張ったりしていました。
わたしは こういうとき 他者の介入っていうのは 許されるんだろうか?とか いろんなことを考えて それで結局 おばさんが盲目なのをいいことに かなり近くで どきどきしながら おばさんと犬を見てた。
結局 怖くてその場にいられなくなって逃げました。
なんだったんだろう、あれ。
*
ハンディを背負っているからといって 必ずしもやさしい人ばっかりじゃない。
この二つに相関関係なんてないはずなのに なぜか、ハンディを背負った人間を 被害者みたいに 見る風潮みたいなのが あるとおもう。
でも もちろん 同じように 汚いことを考える人もいるし 動物が嫌いなひともいるし いらいらしたら 他者に当たりたくなるひともいるわけで。
当たり前のことなんだけど そういった意味で 特別な目で見るのはよくないことだな、と思いました。
*
何かにショックを受けました。
盲目の人と 盲導犬の 絆、みたいなイメージが先行しすぎてて、だから 目撃したあの姿に 変な衝撃を受けたんだろうか。
よくわかんない。
あの犬は普段 かわいがって貰えてるのかな。
うわぁ。
ダイアリーノートだ。なんて懐かしいのでしょう。
*
この内容は この群には見せられるけど こっちの群には 見せられない。とか、 そういうことが重なっていって、
あまりに多くのひとに見せすぎた このブログから いつの間にか 離れていってしまいました。
もう一度 こっちで書くのもいいな。
でも 今のわたしの日常は なんていうかコッソリ綴りたいような ものなのでございます。
*
最近 彼氏とは別れました。
言い出したのは 私からです。
別に だからといって 何か特別な空白があるわけではないことに 自分自身 びっくりしています。
でも 付き合うってことは結局 1と1が くっつくことで、
それが離れたところで、1は完全なかたちなのだから、
別に何か失ったような感情を抱く必要はない。とおもう。多分。
*
連絡をとりたいひとが いっぱいいます。
メールを出してみようかな。
ダイアリーノートだ。なんて懐かしいのでしょう。
*
この内容は この群には見せられるけど こっちの群には 見せられない。とか、 そういうことが重なっていって、
あまりに多くのひとに見せすぎた このブログから いつの間にか 離れていってしまいました。
もう一度 こっちで書くのもいいな。
でも 今のわたしの日常は なんていうかコッソリ綴りたいような ものなのでございます。
*
最近 彼氏とは別れました。
言い出したのは 私からです。
別に だからといって 何か特別な空白があるわけではないことに 自分自身 びっくりしています。
でも 付き合うってことは結局 1と1が くっつくことで、
それが離れたところで、1は完全なかたちなのだから、
別に何か失ったような感情を抱く必要はない。とおもう。多分。
*
連絡をとりたいひとが いっぱいいます。
メールを出してみようかな。
一年前
2005年9月8日こう、夏から秋にうつりかわる時の独特の寒さには覚えがあります。
札幌の、寒さというより痛みを感じるぐらいの冬とはまた違って。
往生際悪く、まだ夏を引きずったような格好をして寒さに耐えつつ、一年前のことなんかを思い出していました。
九月八日の夜は、ちょうど、彼氏に(この言い方は相変わらず慣れないけれど)好きだといった日です。
今年と同じように、去年も台風がきていて、舞鶴から小樽への船はずいぶん遅れて、わたしの帰宅日も遅れました。
小樽港について、夏の格好で船をおりたときの寒さが、ちょうど今日の寒さに似ていたような気がします。
そっかぁそっか、もう一年も経つんだ!と妙に感慨深い。
本当にこの一年はあっという間で、でもとても濃かったような気が、する…。
札幌の、寒さというより痛みを感じるぐらいの冬とはまた違って。
往生際悪く、まだ夏を引きずったような格好をして寒さに耐えつつ、一年前のことなんかを思い出していました。
九月八日の夜は、ちょうど、彼氏に(この言い方は相変わらず慣れないけれど)好きだといった日です。
今年と同じように、去年も台風がきていて、舞鶴から小樽への船はずいぶん遅れて、わたしの帰宅日も遅れました。
小樽港について、夏の格好で船をおりたときの寒さが、ちょうど今日の寒さに似ていたような気がします。
そっかぁそっか、もう一年も経つんだ!と妙に感慨深い。
本当にこの一年はあっという間で、でもとても濃かったような気が、する…。
YUKI 蔦谷好位置 CD ERJ 2005/06/29 ¥1,223ドラマチック
ハチクロの読者層はYUKIのファン層とぴったりなはずなので、上手い組み合わせだなぁと思いました。
しかし『長い夢』『ドラマチック』と続いて、この次のシングルも既に決まっているらしく…こんなに早くていいのかしら。
ハチクロの読者層はYUKIのファン層とぴったりなはずなので、上手い組み合わせだなぁと思いました。
しかし『長い夢』『ドラマチック』と続いて、この次のシングルも既に決まっているらしく…こんなに早くていいのかしら。
今 心は清く光る
涙で見えなくなる
最も旧い記憶と、世界のはじまりについて
2005年7月13日実在論と観念論という話を哲学のゼミで行った。
いま自分が存在している世界以外の世界(変な言い回し!)を認めるかどうかという話で、ふと思い出したことを ゼミの途中になんとなく発言してみた。
思い出せる限り、わたしの一番旧い記憶は、スヌーピーのコップに纏わるものだ。
昼間、近所に住むナナエちゃんという女の子が遊びに来ていて、わたしは何気なく、彼女に「莢のコップはスヌーピーだったよ。ナナエちゃんのは?」と尋ねる。ナナエちゃんが答えようとしたとき、そばにいたわたしの母親は、「コップの柄なんてどっちでもいいでしょ?わがまま言わないで!」と怒る。
たぶん、母は、わたしがナナエちゃんにコップの柄を自慢しているとか、あるいはわたしがコップに拘っているとか、そういうことを思ったんだろう。
でもそういうことじゃなくて、ただ単純に、確か、沈黙を埋めようとしてそういう発言をしただけなのに、どうして怒られなきゃならないんだろう……ととても悲しく思ったのが わたしの最も旧い記憶。
それとは別に、もっと漠然としたイメージ的な、記憶なのかどうかもわからない映像があった。
小さいころ、「わたしはどこから生まれたんだろう」とか「わたしのはじまりは?」とか「世界はどこからはじまったの?」とか思うときに、必ず浮かんでくるもの。
誰の視点からかはわからないけれど、まっすぐ向こうに、オレンジ色の夕陽が沈んでいって、ビルの谷間に少しずつ吸い込まれていく、そういう動画だ。
どうしてその映像なのかはわからなかったけれど、昔の私はそれを、「前世のわたしが見ていた記憶」と結論付けた。もしくは、あれがわたしの、最も旧い記憶なのではないか?あるいは、世界のはじまりを見せてもらえたんじゃないか、とか。
*
まあこれは前置き。ともかくも、その映像を「世界のはじまりかもしれない!」と思ったわたしは、それからなんとなく、この世界のすべては、わたしにしか感じられていないのじゃないか?とかなんとか変なことを考えてた。
つまり、友達の目にも、同じように世界が見えてるわけじゃなくて、そもそも友達が、本当にわたしと同じ「つくり」をしているかどうかはさだかではなく、本当はすべてのことが、最初から最後まで決められていて、友達はプログラムに沿ってわたしに応答する。机や椅子やペットボトルやお菓子や、そういうものもあらかじめ作られている。そういう場所でわたしは生きていて、別に傲慢な意味じゃないけど、「今見えているものは わたしのために 存在するのかもしれない?」とか 考えていた時期があった。
繰り返しになるけれど、これは別に「この世界のすべてはわたしのもの!」って感じの 考え方ではなくて、
本当は「他人」なんていなかったらどうしよう、もしわたしが死んだら、そのあとわたしの見てきたものは消えるんじゃないか、 という ほんとに 寂しくて怖い考え方だ。
*
そういう考えをしていた時期があった、だから、自分がいなくなったあと、世界が必ず続いているとは断言できない と言うと、それは観念論者の考え方で、哲学の世界ではそういう発言をすると、いろいろ哲学の本を読みかじった人間なんじゃないかと思われる。自分は実在論者だから、そう簡単に引き下がるわけにはいかない と先生に言われ、それから一時間、殆どマンツーマンでそんな話をずっとしてたのでした。
金曜日がとても憂鬱だ。
*
高校時代のように、ここにすべての、自分の考えていることすべてを書き連ねることができなくなった。どうしてだろう。
ちょっと前までは、暫く何も書かないでいると、何かが発酵してきて、衝動的にものを書きたくなった。それは日記だったり、今の状態を小説まがいに書き表してみたり、形式はいろいろだったけれど、とにかく 「かく」 ことで何かを発散してたのは確かだ。今はそれがない。そういう衝動が起きないのが不気味で、どうしたらいいかわからない。
*
・本が読みたい。ビデオを観たい
・彼氏とは上手い具合にいっています。今月末で七ヶ月
・欝だったり、とてもハイテンションだったり、を繰り返す日々
・夏休みになるというのに何も心が躍らない
・別に死にたいわけじゃないのに、なんでわたしいきてるんだろう??この先何かあるわけ?とかくだらないことばかり考えて欝になる
*
いろんなひとの日記を読んでいて、それぞれ楽しみとか、目標とか、生きがいとか、そういうものが感じられて とてもまぶしい。
今の私はまるで廃人です。
いま自分が存在している世界以外の世界(変な言い回し!)を認めるかどうかという話で、ふと思い出したことを ゼミの途中になんとなく発言してみた。
思い出せる限り、わたしの一番旧い記憶は、スヌーピーのコップに纏わるものだ。
昼間、近所に住むナナエちゃんという女の子が遊びに来ていて、わたしは何気なく、彼女に「莢のコップはスヌーピーだったよ。ナナエちゃんのは?」と尋ねる。ナナエちゃんが答えようとしたとき、そばにいたわたしの母親は、「コップの柄なんてどっちでもいいでしょ?わがまま言わないで!」と怒る。
たぶん、母は、わたしがナナエちゃんにコップの柄を自慢しているとか、あるいはわたしがコップに拘っているとか、そういうことを思ったんだろう。
でもそういうことじゃなくて、ただ単純に、確か、沈黙を埋めようとしてそういう発言をしただけなのに、どうして怒られなきゃならないんだろう……ととても悲しく思ったのが わたしの最も旧い記憶。
それとは別に、もっと漠然としたイメージ的な、記憶なのかどうかもわからない映像があった。
小さいころ、「わたしはどこから生まれたんだろう」とか「わたしのはじまりは?」とか「世界はどこからはじまったの?」とか思うときに、必ず浮かんでくるもの。
誰の視点からかはわからないけれど、まっすぐ向こうに、オレンジ色の夕陽が沈んでいって、ビルの谷間に少しずつ吸い込まれていく、そういう動画だ。
どうしてその映像なのかはわからなかったけれど、昔の私はそれを、「前世のわたしが見ていた記憶」と結論付けた。もしくは、あれがわたしの、最も旧い記憶なのではないか?あるいは、世界のはじまりを見せてもらえたんじゃないか、とか。
*
まあこれは前置き。ともかくも、その映像を「世界のはじまりかもしれない!」と思ったわたしは、それからなんとなく、この世界のすべては、わたしにしか感じられていないのじゃないか?とかなんとか変なことを考えてた。
つまり、友達の目にも、同じように世界が見えてるわけじゃなくて、そもそも友達が、本当にわたしと同じ「つくり」をしているかどうかはさだかではなく、本当はすべてのことが、最初から最後まで決められていて、友達はプログラムに沿ってわたしに応答する。机や椅子やペットボトルやお菓子や、そういうものもあらかじめ作られている。そういう場所でわたしは生きていて、別に傲慢な意味じゃないけど、「今見えているものは わたしのために 存在するのかもしれない?」とか 考えていた時期があった。
繰り返しになるけれど、これは別に「この世界のすべてはわたしのもの!」って感じの 考え方ではなくて、
本当は「他人」なんていなかったらどうしよう、もしわたしが死んだら、そのあとわたしの見てきたものは消えるんじゃないか、 という ほんとに 寂しくて怖い考え方だ。
*
そういう考えをしていた時期があった、だから、自分がいなくなったあと、世界が必ず続いているとは断言できない と言うと、それは観念論者の考え方で、哲学の世界ではそういう発言をすると、いろいろ哲学の本を読みかじった人間なんじゃないかと思われる。自分は実在論者だから、そう簡単に引き下がるわけにはいかない と先生に言われ、それから一時間、殆どマンツーマンでそんな話をずっとしてたのでした。
金曜日がとても憂鬱だ。
*
高校時代のように、ここにすべての、自分の考えていることすべてを書き連ねることができなくなった。どうしてだろう。
ちょっと前までは、暫く何も書かないでいると、何かが発酵してきて、衝動的にものを書きたくなった。それは日記だったり、今の状態を小説まがいに書き表してみたり、形式はいろいろだったけれど、とにかく 「かく」 ことで何かを発散してたのは確かだ。今はそれがない。そういう衝動が起きないのが不気味で、どうしたらいいかわからない。
*
・本が読みたい。ビデオを観たい
・彼氏とは上手い具合にいっています。今月末で七ヶ月
・欝だったり、とてもハイテンションだったり、を繰り返す日々
・夏休みになるというのに何も心が躍らない
・別に死にたいわけじゃないのに、なんでわたしいきてるんだろう??この先何かあるわけ?とかくだらないことばかり考えて欝になる
*
いろんなひとの日記を読んでいて、それぞれ楽しみとか、目標とか、生きがいとか、そういうものが感じられて とてもまぶしい。
今の私はまるで廃人です。
6月22日の日記
2005年6月22日忙殺?
先の見通しが立たないかんじ。
april_fool@hotmail.co.jpメアドがかわりました。comじゃなくてco.jpなのです。
のどが痛いし眠いし、早く夏休みになればいいとおもう。頑張ろう。
先の見通しが立たないかんじ。
april_fool@hotmail.co.jpメアドがかわりました。comじゃなくてco.jpなのです。
のどが痛いし眠いし、早く夏休みになればいいとおもう。頑張ろう。
なんのため?
2005年5月7日定期的にくるこの感覚はなんなんだろ。
中学生の頃から、試験が終わったあとにはいつも悲しくなった。やることないから。
何をしていいかわかんなくて悲しくなるというか。
で、今もそんな感じで。
GWに、Wと遊ぶという(実際、彼はずっと熱を出してて、看病の日々?だったのだけれど)イベント(少なくとも、中学時代の期末試験には匹敵するぐらいの)を終わらせたわたしは、
ちょっと呆然としていて、さみしくて、それから何を今すればいいのかわかんない。
ちょっと大げさな言い方をするけれど、大げさとか思わないでくださいね(……?)
「今わたし何のために生きているのかわからん」と、端的に言えばそれなのです。
いや 別にそんな大掛かりなこと思ってるわけじゃない。
死にたいとかそういうわけでもなく、別に私は、Wのために生きてるわけでは勿論ない。
生きるのに目的なんて必要なのかわからないし、
そもそもわたしにとって、「生」とはとっても自然な行為だ。
それから別に生と死について考えたり、悩んだり、したいわけでもない。
じゃあ何か っていうと とにかく なんとなく憂鬱なのだ。
きわめて微妙なことなのだけれど、これはWに会えないから憂鬱、ということではけっしてなくて、
目的がないから 憂鬱なのだ。
達成感? とにかく 何かが終わったあとは ひどい喪失感だ。
きっと明日になって朝陽でも浴びて、朝ごはんにオムライスでも食べれば、きっとこんな感じはすぐ消えて、ご機嫌で本を読んだりするはずなんだけど。
中学生の頃から、試験が終わったあとにはいつも悲しくなった。やることないから。
何をしていいかわかんなくて悲しくなるというか。
で、今もそんな感じで。
GWに、Wと遊ぶという(実際、彼はずっと熱を出してて、看病の日々?だったのだけれど)イベント(少なくとも、中学時代の期末試験には匹敵するぐらいの)を終わらせたわたしは、
ちょっと呆然としていて、さみしくて、それから何を今すればいいのかわかんない。
ちょっと大げさな言い方をするけれど、大げさとか思わないでくださいね(……?)
「今わたし何のために生きているのかわからん」と、端的に言えばそれなのです。
いや 別にそんな大掛かりなこと思ってるわけじゃない。
死にたいとかそういうわけでもなく、別に私は、Wのために生きてるわけでは勿論ない。
生きるのに目的なんて必要なのかわからないし、
そもそもわたしにとって、「生」とはとっても自然な行為だ。
それから別に生と死について考えたり、悩んだり、したいわけでもない。
じゃあ何か っていうと とにかく なんとなく憂鬱なのだ。
きわめて微妙なことなのだけれど、これはWに会えないから憂鬱、ということではけっしてなくて、
目的がないから 憂鬱なのだ。
達成感? とにかく 何かが終わったあとは ひどい喪失感だ。
きっと明日になって朝陽でも浴びて、朝ごはんにオムライスでも食べれば、きっとこんな感じはすぐ消えて、ご機嫌で本を読んだりするはずなんだけど。
グランド・フィナーレ
2005年5月7日 読書
ISBN:4062127938 単行本 阿部 和重 講談社 2005/02/01 ¥1,470
終わり、それとも始まり……神町を巡る物語。
「グランドフィナーレ」という名の終わりの始まり。
毎日出版文化賞、伊藤整賞W受賞作「シンセミア」に続く、
二人の少女と一人の男を巡る新たなる神町の物語。
第132回芥川賞受賞作。
*
おわりのはじまり、というレトリックはちょっとだけ好きだ。
しょっぱなからの洪水みたいなメタファーの効果か、ひどくメルヘンチックな始まり。
でも、少しずつ明かされていく真実、主人公の性癖が露呈するにつれ、彼の娘への愛情が次第に不気味に思えていく。
で、主人公が児童ポルノに手を染めたロリコンで、それが原因で家族も職も失った、とわかった途端、暗喩の嵐も彼の思考の異常性を表しているかのように思えてくるのです。
*
後半以降に出てくる二人の少女は、小学校卒業を期に別れてしまいます。
彼女たちはヒロイックに「最後の劇を成功させたいの」と主人公に頼むのだけれど、彼女たちの望みを「幼いセンチメンタリズム」としていやにアッサリ片付ける主人公が面白かった。そして意外にも感じた。
美少女に懇願されながらも、意外にこの主人公は醒めてるところがあるんだなあ、って。
最後最後って深刻ぶってうるさい、みたいなことを彼は言うけれど、でも、子ども・・・殊に小学生の子にとっては、別れって今生のものみたいに思えるはずだ。
確かに、どんな別れであれ、場合によっては永遠の別れにもなりうる。
死んでない限り会える、なんていうけれど、「会いたいと思う気持ち」をなくすことも、わりとあったりするし。
それで次第に寂しいと思うこともなくなって。
距離というのは……別に物理的な距離だけじゃなくて、心理的な距離にしろ、それはわりと重要なことなんじゃないかな、と思う。
以前どこかで書いたけれど、「共有のコミュニティ」という存在に属しているからこそ、仲良くしている、仲良くする、できる、ということもあるわけで、
そこから外れてしまうと、自然に疎遠になってしまうのは致しかたない。つらい体験の共有も、話題の確保も、そういうことができなくなってしまうのだから。
この女の子たちも、もしかしたらずっと付き合うかもしれないし、でも、案外同じ小学校じゃなくなったら、疎遠になるかもしれない。
でも、そういうことを知らずに、「ずっと親友」と言い切れるのは まぶしい。
現実的には、「ずっといっしょ」とか「ずっと一番」なんて意気込まないで、「まあ仲良くしていこうよw たまに連絡頂戴ね」ぐらいの間柄のほうが、案外長く続いてしまったりするもの……だと思う。
*
この本の作者は男性なのだけれど、少女を描写する際に、
「イエローベースの春」「ブルーベースの冬」という表現を使ってた。
これは、最近女性誌なんかでよく取り上げられてて、イエローベースは黄色味のある肌に茶色っぽい髪、ブルーベースは青っぽい肌に黒髪が特徴。ちなみにわたしはイエローベースの春ね。
うーん、これって男の人も普通に知ってることなんだろうか。
*
ともかくも、主人公はわりと健康的になりw、異常な語り口も最後のほうはなくなっていたので、良かったんじゃないのかなあ、というなんともいえない感想を抱きました。
でもいろんなところ、身につまされたし、どきりとした。
短い本だし、もう一度読んでもいいかもしれない。
*
そういえば、作中にトキについて触れられていたけれど、
この作者、「ニッポニア・ニッポン」(=トキ)という本を出してるんですね。
トキに関して何か思いいれとか あるのかなあ。
終わり、それとも始まり……神町を巡る物語。
「グランドフィナーレ」という名の終わりの始まり。
毎日出版文化賞、伊藤整賞W受賞作「シンセミア」に続く、
二人の少女と一人の男を巡る新たなる神町の物語。
第132回芥川賞受賞作。
*
おわりのはじまり、というレトリックはちょっとだけ好きだ。
しょっぱなからの洪水みたいなメタファーの効果か、ひどくメルヘンチックな始まり。
でも、少しずつ明かされていく真実、主人公の性癖が露呈するにつれ、彼の娘への愛情が次第に不気味に思えていく。
で、主人公が児童ポルノに手を染めたロリコンで、それが原因で家族も職も失った、とわかった途端、暗喩の嵐も彼の思考の異常性を表しているかのように思えてくるのです。
*
後半以降に出てくる二人の少女は、小学校卒業を期に別れてしまいます。
彼女たちはヒロイックに「最後の劇を成功させたいの」と主人公に頼むのだけれど、彼女たちの望みを「幼いセンチメンタリズム」としていやにアッサリ片付ける主人公が面白かった。そして意外にも感じた。
美少女に懇願されながらも、意外にこの主人公は醒めてるところがあるんだなあ、って。
最後最後って深刻ぶってうるさい、みたいなことを彼は言うけれど、でも、子ども・・・殊に小学生の子にとっては、別れって今生のものみたいに思えるはずだ。
確かに、どんな別れであれ、場合によっては永遠の別れにもなりうる。
死んでない限り会える、なんていうけれど、「会いたいと思う気持ち」をなくすことも、わりとあったりするし。
それで次第に寂しいと思うこともなくなって。
距離というのは……別に物理的な距離だけじゃなくて、心理的な距離にしろ、それはわりと重要なことなんじゃないかな、と思う。
以前どこかで書いたけれど、「共有のコミュニティ」という存在に属しているからこそ、仲良くしている、仲良くする、できる、ということもあるわけで、
そこから外れてしまうと、自然に疎遠になってしまうのは致しかたない。つらい体験の共有も、話題の確保も、そういうことができなくなってしまうのだから。
この女の子たちも、もしかしたらずっと付き合うかもしれないし、でも、案外同じ小学校じゃなくなったら、疎遠になるかもしれない。
でも、そういうことを知らずに、「ずっと親友」と言い切れるのは まぶしい。
現実的には、「ずっといっしょ」とか「ずっと一番」なんて意気込まないで、「まあ仲良くしていこうよw たまに連絡頂戴ね」ぐらいの間柄のほうが、案外長く続いてしまったりするもの……だと思う。
*
この本の作者は男性なのだけれど、少女を描写する際に、
「イエローベースの春」「ブルーベースの冬」という表現を使ってた。
これは、最近女性誌なんかでよく取り上げられてて、イエローベースは黄色味のある肌に茶色っぽい髪、ブルーベースは青っぽい肌に黒髪が特徴。ちなみにわたしはイエローベースの春ね。
うーん、これって男の人も普通に知ってることなんだろうか。
*
ともかくも、主人公はわりと健康的になりw、異常な語り口も最後のほうはなくなっていたので、良かったんじゃないのかなあ、というなんともいえない感想を抱きました。
でもいろんなところ、身につまされたし、どきりとした。
短い本だし、もう一度読んでもいいかもしれない。
*
そういえば、作中にトキについて触れられていたけれど、
この作者、「ニッポニア・ニッポン」(=トキ)という本を出してるんですね。
トキに関して何か思いいれとか あるのかなあ。
ISBN:4163163107 単行本 柳 美里 文芸春秋 1996/06 ¥1,223
本物に、なりたいんだけど、なれない家族。
*
非常にどうでもいいことではあるんだけれど、
ブックレビューをつけようとして「フルハウス」で検索をかけると、
何やら凄いものが出てくる……!
芥川賞候補作の純文学と、BLがごっちゃに!
しかもBLが先に出てくるし。フルハウス、一番下だし。
多分売り上げ順に並んでるんだろうけど、・・・・だろうけど、うーん(つД`)
*
高校のときだったか中学のときだったか、「家族ってなに?」とかそういう問いかけを授業でやったことがあります。
一緒に住んでるのは家族、とか、それなら離婚したら家族じゃないの?とか。
内縁の夫婦ってどうなのよ、とか。
・・・・とりあえず、同じ建物の中に住んでれば家族 というのは ちがうよね。と、本書を読んで更に強く思った。
ばらばらになった家族をかきあつめて、また暖かい家庭を築くために、
保険金を当てにして立派な家を建ててしまう父親。
その家に住むことを拒絶する主人公と妹。
すると、突然ある日、見知らぬ家族が父親の許可を得て、その家で暮らし始めた―――。
・・・とまあこんな話で。
ぞっとします。うん。
ある意味ファンタジーだ。ありえないことなのだけれど、とても気持ち悪い。
「父の詫び状」で、健康的な家庭を見せ付けられたあとだからか、とっても。
*
柳美里にはわりと少女趣味がある、とどこかで聞いたことがあるのだけれど、
本書を読んでようやく納得。
その見知らぬ一家の一員の少女へ向ける視線が どことなくエロティックで危ない感じ。
少女愛・・・・というか なんだろう。過去の自分へ愛情を注いでるというか、うー…巧くいえないからいいや。
本物に、なりたいんだけど、なれない家族。
*
非常にどうでもいいことではあるんだけれど、
ブックレビューをつけようとして「フルハウス」で検索をかけると、
何やら凄いものが出てくる……!
芥川賞候補作の純文学と、BLがごっちゃに!
しかもBLが先に出てくるし。フルハウス、一番下だし。
多分売り上げ順に並んでるんだろうけど、・・・・だろうけど、うーん(つД`)
*
高校のときだったか中学のときだったか、「家族ってなに?」とかそういう問いかけを授業でやったことがあります。
一緒に住んでるのは家族、とか、それなら離婚したら家族じゃないの?とか。
内縁の夫婦ってどうなのよ、とか。
・・・・とりあえず、同じ建物の中に住んでれば家族 というのは ちがうよね。と、本書を読んで更に強く思った。
ばらばらになった家族をかきあつめて、また暖かい家庭を築くために、
保険金を当てにして立派な家を建ててしまう父親。
その家に住むことを拒絶する主人公と妹。
すると、突然ある日、見知らぬ家族が父親の許可を得て、その家で暮らし始めた―――。
・・・とまあこんな話で。
ぞっとします。うん。
ある意味ファンタジーだ。ありえないことなのだけれど、とても気持ち悪い。
「父の詫び状」で、健康的な家庭を見せ付けられたあとだからか、とっても。
*
柳美里にはわりと少女趣味がある、とどこかで聞いたことがあるのだけれど、
本書を読んでようやく納得。
その見知らぬ一家の一員の少女へ向ける視線が どことなくエロティックで危ない感じ。
少女愛・・・・というか なんだろう。過去の自分へ愛情を注いでるというか、うー…巧くいえないからいいや。
ISBN:4167277018 文庫 向田 邦子 文藝春秋 1981/01 ¥500
度鳴る父、威張る父、殴る父、そして陰ではやさしい心遣いをする父、誰でも思い当たる父親のいる情景を爽やかなユーモアを交えて描き、名人真打ちと絶賛された著者の第一エッセイ集。
*
教科書か問題集で「字のないはがき」というエッセイを読んだことがあり、それ以来なんとなく気にかけていた作家さんです。
ただのエッセイというよりは、昭和の一般家庭の生活を鮮やかに描いて、なんだか記録みたいな感じもする。
面白かったし、この向田さんというひとの他のエッセイも読みたいと思った。
描写のひとつひとつが、授業中についニヤニヤしてしまうぐらい面白くて印象的で、
このひとは きっとちょっと変わってて、面白いんだろうなあ、と思いました。毒のあることを書いているはずなのに、不思議とすこやかで、厭味な感じがしないのだ。
もう亡くなってるなんて悲しいよう。
度鳴る父、威張る父、殴る父、そして陰ではやさしい心遣いをする父、誰でも思い当たる父親のいる情景を爽やかなユーモアを交えて描き、名人真打ちと絶賛された著者の第一エッセイ集。
*
教科書か問題集で「字のないはがき」というエッセイを読んだことがあり、それ以来なんとなく気にかけていた作家さんです。
ただのエッセイというよりは、昭和の一般家庭の生活を鮮やかに描いて、なんだか記録みたいな感じもする。
面白かったし、この向田さんというひとの他のエッセイも読みたいと思った。
描写のひとつひとつが、授業中についニヤニヤしてしまうぐらい面白くて印象的で、
このひとは きっとちょっと変わってて、面白いんだろうなあ、と思いました。毒のあることを書いているはずなのに、不思議とすこやかで、厭味な感じがしないのだ。
もう亡くなってるなんて悲しいよう。
一頃、ドラキュラの貯金箱が流行ったことがある。お金を乗せると、ジイッと思わせぶりな音がして不意に小さな青い手が伸びて、陰険というか無慈悲というか、嫌な手つきでお金をひっさらって引っ込む。
何かに似ているなと思ったら、遠足の朝、新聞のかげから手を伸ばしてのり巻きのはしっこを食べる父の手を連想したのだった。
レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
2005年5月7日 映画バナーを出したかったのに出ないよー(つД`)
どして?
*
観てきました。
ゴシックというのかなんというのか、ああいう衣装とか街並みはすごい好き。
記録人・レモニー・スニケットが記す、三人の子ども達の身に降りかかった不幸せな物語。
不幸の連続とか、いろいろひどいことが書かれているから、てっきりムチで叩かれたり、最終的には首斬られたりしちゃうのかしら……とハラハラしながら観ていました。イメージとしてはアダムス・ファミリーみたいな。シュールなコメディ、でもダーク!って感じかなあ、と。
でも、不幸は、確かにものすごーく不幸なんだけど(変な言い回しだ!)意外にマイルド。
ちょっと時間が短かった感もあって、あと30分もあればきっともっと充実したのだと思うけれど、でも面白かった。
しかしオラフ伯爵はすごい。
あそこまでエネルギッシュな悪役を久しぶりに見た感じだ……。
どして?
*
観てきました。
ゴシックというのかなんというのか、ああいう衣装とか街並みはすごい好き。
記録人・レモニー・スニケットが記す、三人の子ども達の身に降りかかった不幸せな物語。
不幸の連続とか、いろいろひどいことが書かれているから、てっきりムチで叩かれたり、最終的には首斬られたりしちゃうのかしら……とハラハラしながら観ていました。イメージとしてはアダムス・ファミリーみたいな。シュールなコメディ、でもダーク!って感じかなあ、と。
でも、不幸は、確かにものすごーく不幸なんだけど(変な言い回しだ!)意外にマイルド。
ちょっと時間が短かった感もあって、あと30分もあればきっともっと充実したのだと思うけれど、でも面白かった。
しかしオラフ伯爵はすごい。
あそこまでエネルギッシュな悪役を久しぶりに見た感じだ……。
YUKI 蔦谷好位置 CD ERJ 2005/04/27 ¥1,020
・・・・
発売日に即・入手。
どちらかといえばJAM時代のような雰囲気があると思ったり。
息子さんを亡くされて間もないので、レクイエム的に聴いてしまっていたのだけれど、
どうやらそれ以前に既に出来ていた曲とのこと。
曲名を「バイバイ」から「長い夢」に変えているのも、変更前のものだと、息子さんの死を歌っていると誤解される可能性があるからかな……?
それにしても、関係ないとわかっていたって、
「そこに行くにはどうしたらいいの?」「夢で会えたら何を話そう?」なんてフレーズにはどきりとさせられる。
その上、ジャケット写真のうさぎは幼い子どもを彷彿とさせるし、冒頭の、ほんとに小さな「わたしを森から助け出して」という囁きはとても切ない。
「いつか完璧な環になるよ」というところ、「環」という語に「生命の連鎖」とか、そういうイメージを抱きました。こう、ぐるぐるまわっていくというか。
*
・・・・
発売日に即・入手。
どちらかといえばJAM時代のような雰囲気があると思ったり。
息子さんを亡くされて間もないので、レクイエム的に聴いてしまっていたのだけれど、
どうやらそれ以前に既に出来ていた曲とのこと。
曲名を「バイバイ」から「長い夢」に変えているのも、変更前のものだと、息子さんの死を歌っていると誤解される可能性があるからかな……?
それにしても、関係ないとわかっていたって、
「そこに行くにはどうしたらいいの?」「夢で会えたら何を話そう?」なんてフレーズにはどきりとさせられる。
その上、ジャケット写真のうさぎは幼い子どもを彷彿とさせるし、冒頭の、ほんとに小さな「わたしを森から助け出して」という囁きはとても切ない。
「いつか完璧な環になるよ」というところ、「環」という語に「生命の連鎖」とか、そういうイメージを抱きました。こう、ぐるぐるまわっていくというか。
*
バイバイ長い夢、そこへ行くにはどうしたらいいの?
迷子になるよ、道案内してね
気がつけば棘だらけだ、痛いよ
きいたもの、みたもの
2005年5月6日「長い夢」−YUKI
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
*
レビューがたまっています。
札幌にきていたWに風邪をうつされたらしく、あまり調子がよくありません。
ああ、メアドが使用停止になってる。。。
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
*
レビューがたまっています。
札幌にきていたWに風邪をうつされたらしく、あまり調子がよくありません。
ああ、メアドが使用停止になってる。。。
知恵熱?
2005年4月22日哲学なんかやっちゃったからか、
それとも友達にうつされたのか、七度六分。
でもまったく具合は悪くない。
なぜ?
もしかしたら月のものの前兆なのかな。
とにかく不気味なので寝よう。
それとも友達にうつされたのか、七度六分。
でもまったく具合は悪くない。
なぜ?
もしかしたら月のものの前兆なのかな。
とにかく不気味なので寝よう。
わたしを率いてくれる人
2005年4月21日学生証を再発行して貰えたので、嬉しくて図書館を使いまくりです。
高原英理の「少女領域」という本を、借りようか迷って結局やめた。
今は予約した本が一気に入ってくるとまずいし、GWはちょっと家をあけるし、さらっと読む本でもなさそうなので…。
GW明けあたりぐらいに、借りて読みたいなあ。
演習は、発表者以外のひともしっかり対象の本を読んで、勉強してから聴くのがマナーだ、というような説明をされました。
そういうわけで、宮本百合子「歌声よおこれ」を読もうとしたのですが、図書館にあるやつは黄ばんでパラパラしていて字が薄くて読めたものじゃない…。
どこかに探しにいこうとおもいます。
今はアルバイトをしていません。親からお小遣いをいただいて、地味に生活しています。
でもしかし、朝はちゃんと起きれるし、本を読む時間はとれるし、暫くはこれでいいかも。
不思議なくらい心が落ち着いていて、遊びにいきたいという衝動さえおきないです。
去年たくさん遊んで発散して(単位を落として22単位しかとれなくてw)おいたから、もう満足したのかな?
加えて、多分安定しているのであろうWとの関係も、まじめに暮らそうという意識を後押ししてるかのように思えるのです。
彼は、習得単位数に問題はないようですが、成績をあげたいらしい。
そういうわけで、ふたりとも上限ギリギリまで単位をとって、まじめに生活しております。
授業をさぼろうものなら、「まじめにやるんじゃなかったの?」とか言われることは確実なので、さぼれない。
わたしは自分を統率(?)してくれる人間がいないとだめなのです。たぶん。
基本は小さいころから何もかわっていなくて、多分、「怒られたらどうしよう」とか、そういう感覚がないと堕落する。
小中学校のときはそれが親で。親に怒られるのがイヤだから宿題を真面目にやった。
そういうひとが、去年は、誰もいなかったのです。一緒に行動している二人は、いろいろ言ってくれるけれど、基本的にはわたしの決めたことに介入はしません。強く怒ったりもしません。
Wは、わたしの中での位置づけは親と似たような感じで、「叱られたくない」とか「怒られたらどうしよう」とかそういう感覚を感じる人で。
よくも悪くもわたしのストッパーになっているような気がするのです。
ある意味、心理的な依存(わたしが怠けないように見張っててよ というのは甘えの一種だし)の対象が、親からWにうつったという感じなのでしょうか。
Wには、親と共通した厳しさみたいなものがあり、
この年になって何で誰かに怒られたりしなきゃいけないんだー、と思ったりもするのですが、
同時に、祖母に対してと同じぐらい甘えられるのも事実なのです。
昔祖母にやってもらっていたように、髪をWにかわかしてもらって、梳かして貰って。そういう時間がとてもすきだ。
……まぁでもともかく、今年は怒ってくれるひとも、
それより何より恐ろしい「22単位」の衝撃もあるので、
それなりに真面目にやれそうです。
めざせ54単位。
頑張れ莢、これは自業自得だけど… _| ̄|○
*
演習の時間のヨーデル。
先生「最近は躁状態かなあ。鬱躁の躁ね」
ヨーデル「(私たちに向かって)つまり、ハイテンションということです」
……知ってるよそんなこと!!!……と、わたしには周りの心の声が聞こえるかのようでした。
いや、わたし自身も思ってたんだけど。
別に、これひとつだけだとわざわざ日記に書くまでもないエピソードなのだけれど、彼女にはこれ系の余計な発言が多すぎ、いらいらします。
甲骨文字wみたいな形をしたネックレスをくるくる回す仕草とか、いちいち行動が気になったり。
彼女がオタクかどうかはわからないけれど、とりあえず格好は秋葉系。で、漫画のせりふとかを、そのまま現実でも口に出しちゃっているような、そういう違和感があるのです。しゃべりかたに。
「う〜〜む」とか「ふむふむ」とか現実では使わないよう。余計な擬音・擬態語の類も。
まあ木曜日が楽しみになったからいいかなあ。。。
高原英理の「少女領域」という本を、借りようか迷って結局やめた。
今は予約した本が一気に入ってくるとまずいし、GWはちょっと家をあけるし、さらっと読む本でもなさそうなので…。
GW明けあたりぐらいに、借りて読みたいなあ。
演習は、発表者以外のひともしっかり対象の本を読んで、勉強してから聴くのがマナーだ、というような説明をされました。
そういうわけで、宮本百合子「歌声よおこれ」を読もうとしたのですが、図書館にあるやつは黄ばんでパラパラしていて字が薄くて読めたものじゃない…。
どこかに探しにいこうとおもいます。
今はアルバイトをしていません。親からお小遣いをいただいて、地味に生活しています。
でもしかし、朝はちゃんと起きれるし、本を読む時間はとれるし、暫くはこれでいいかも。
不思議なくらい心が落ち着いていて、遊びにいきたいという衝動さえおきないです。
去年たくさん遊んで発散して(単位を落として22単位しかとれなくてw)おいたから、もう満足したのかな?
加えて、多分安定しているのであろうWとの関係も、まじめに暮らそうという意識を後押ししてるかのように思えるのです。
彼は、習得単位数に問題はないようですが、成績をあげたいらしい。
そういうわけで、ふたりとも上限ギリギリまで単位をとって、まじめに生活しております。
授業をさぼろうものなら、「まじめにやるんじゃなかったの?」とか言われることは確実なので、さぼれない。
わたしは自分を統率(?)してくれる人間がいないとだめなのです。たぶん。
基本は小さいころから何もかわっていなくて、多分、「怒られたらどうしよう」とか、そういう感覚がないと堕落する。
小中学校のときはそれが親で。親に怒られるのがイヤだから宿題を真面目にやった。
そういうひとが、去年は、誰もいなかったのです。一緒に行動している二人は、いろいろ言ってくれるけれど、基本的にはわたしの決めたことに介入はしません。強く怒ったりもしません。
Wは、わたしの中での位置づけは親と似たような感じで、「叱られたくない」とか「怒られたらどうしよう」とかそういう感覚を感じる人で。
よくも悪くもわたしのストッパーになっているような気がするのです。
ある意味、心理的な依存(わたしが怠けないように見張っててよ というのは甘えの一種だし)の対象が、親からWにうつったという感じなのでしょうか。
Wには、親と共通した厳しさみたいなものがあり、
この年になって何で誰かに怒られたりしなきゃいけないんだー、と思ったりもするのですが、
同時に、祖母に対してと同じぐらい甘えられるのも事実なのです。
昔祖母にやってもらっていたように、髪をWにかわかしてもらって、梳かして貰って。そういう時間がとてもすきだ。
……まぁでもともかく、今年は怒ってくれるひとも、
それより何より恐ろしい「22単位」の衝撃もあるので、
それなりに真面目にやれそうです。
めざせ54単位。
頑張れ莢、これは自業自得だけど… _| ̄|○
*
演習の時間のヨーデル。
先生「最近は躁状態かなあ。鬱躁の躁ね」
ヨーデル「(私たちに向かって)つまり、ハイテンションということです」
……知ってるよそんなこと!!!……と、わたしには周りの心の声が聞こえるかのようでした。
いや、わたし自身も思ってたんだけど。
別に、これひとつだけだとわざわざ日記に書くまでもないエピソードなのだけれど、彼女にはこれ系の余計な発言が多すぎ、いらいらします。
甲骨文字wみたいな形をしたネックレスをくるくる回す仕草とか、いちいち行動が気になったり。
彼女がオタクかどうかはわからないけれど、とりあえず格好は秋葉系。で、漫画のせりふとかを、そのまま現実でも口に出しちゃっているような、そういう違和感があるのです。しゃべりかたに。
「う〜〜む」とか「ふむふむ」とか現実では使わないよう。余計な擬音・擬態語の類も。
まあ木曜日が楽しみになったからいいかなあ。。。
野ブタ。をプロデュース
2005年4月20日 読書
ISBN:4309016839 単行本 白岩 玄 河出書房新社 2004/11/20 ¥1,050
・・・・・
授業中に読んでたwのだけれど、笑いを堪えるのに必死でした。やー、面白い。漫画を読んでるみたいだ。というか、漫画化したらいいのかも。
適当に上っ面を繕って、クラスでの人気者として生きようとするシュウジの前に、いじめられっこの編入生が現れる。名前は信太。…ノブタ。野豚。
シュウジは野ブタを、「気持ち悪いデヴ」ではなく「可愛いデヴ」としてデビューさせようと計画する。
野ブタと二人三脚で、計画はトントン拍子に進んでいくが…?
リズムがとてもよくて一気に読ませる、
かわりに、文章が不安定というか、綿矢りさの「インストール」を読んだときと同じような印象を受けました。
なんか落ち着かないというか、どこかに破綻がありそうで読み手がどきどきしてしまうような。
ただ、本を読んでいて面白くても、せいぜいニヤニヤする程度のわたしが、授業中に密かに下を向いて笑ってしまうぐらいなのだから、多分きっと面白かったんだなぁ。独特の笑いのセンス。
文藝賞のイメージは悪く?なったかも。生意気な言い方をすれば、ブンガクとしては低質というか、そんな感じ。別にわたしは物書きではないから、偉そうには言えないのだけれど……。
高校生の男女が共に在るときに生まれる残酷さが興味深かったです。
女子校にかよう子にも特有の残酷さ、はあると思うのですが、多分共学校のそれとはちょっと雰囲気が違う。
でも今の高校生の生態がわかってちょっと面白かった。もっと詳しく書いてほしいと思ったぐらい。
ていうか、異性の前でこんなにポンポン?下ネタ言っていいのかな。
「ティッシュ」と聞けばすぐさま自慰行為ネタに走るというか、そういうのってありなのかどうか。
生理ネタも、共学ではご法度だと思っていたけれど、そんなこともないのかなあ……。
総合すると、とても面白かったし、いっぱい笑えました。
もっと続きが読みたい、と久々に思いました。
ただ自分の読書体験としては、微妙だったかも。まあ、楽しかったのでいいや。
・・・・・
授業中に読んでたwのだけれど、笑いを堪えるのに必死でした。やー、面白い。漫画を読んでるみたいだ。というか、漫画化したらいいのかも。
適当に上っ面を繕って、クラスでの人気者として生きようとするシュウジの前に、いじめられっこの編入生が現れる。名前は信太。…ノブタ。野豚。
シュウジは野ブタを、「気持ち悪いデヴ」ではなく「可愛いデヴ」としてデビューさせようと計画する。
野ブタと二人三脚で、計画はトントン拍子に進んでいくが…?
リズムがとてもよくて一気に読ませる、
かわりに、文章が不安定というか、綿矢りさの「インストール」を読んだときと同じような印象を受けました。
なんか落ち着かないというか、どこかに破綻がありそうで読み手がどきどきしてしまうような。
ただ、本を読んでいて面白くても、せいぜいニヤニヤする程度のわたしが、授業中に密かに下を向いて笑ってしまうぐらいなのだから、多分きっと面白かったんだなぁ。独特の笑いのセンス。
文藝賞のイメージは悪く?なったかも。生意気な言い方をすれば、ブンガクとしては低質というか、そんな感じ。別にわたしは物書きではないから、偉そうには言えないのだけれど……。
高校生の男女が共に在るときに生まれる残酷さが興味深かったです。
女子校にかよう子にも特有の残酷さ、はあると思うのですが、多分共学校のそれとはちょっと雰囲気が違う。
でも今の高校生の生態がわかってちょっと面白かった。もっと詳しく書いてほしいと思ったぐらい。
ていうか、異性の前でこんなにポンポン?下ネタ言っていいのかな。
「ティッシュ」と聞けばすぐさま自慰行為ネタに走るというか、そういうのってありなのかどうか。
生理ネタも、共学ではご法度だと思っていたけれど、そんなこともないのかなあ……。
総合すると、とても面白かったし、いっぱい笑えました。
もっと続きが読みたい、と久々に思いました。
ただ自分の読書体験としては、微妙だったかも。まあ、楽しかったのでいいや。
この距離感、居心地いいんだ。遠すぎたら寂しいし、近すぎたら鬱陶しい。適当に笑わしておけば波風立たないし、誰にも嫌われない。むしろ好かれることのほうが多いし、いろいろ得することだってある。自分が他人と合わないからって一人の世界を作ってしまうやつ。そんなやつは弱すぎる。障害物があるからって違うコースを走るのか。そんなもの全部キレイにかわして走ればいいんだ。嘘でもでまかせでもなんでも使えばいい。どうせ死ねば灰になる。抜かれる舌など残っていないのだから。